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サイゴンの部屋貸します

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 五分、十分、十五分、将棋はまだ終わらないらしい。江田さんは、かたわらの車道をてんでんばらばらに走り行くバイクの群れを見るともなく見て、つまらなそうに言う。
「これ見て、日本人はよく『ベトナムは活気がある』つて言うでしょう。”段取り”がないだけなんですよ。日本なら電話一本で済むところを、直接バイクで連絡しに行っている。しかも、まず最初にこれをして、次にこれをするという段取りがないから、何回も行ったり来たりしているんです。相当無駄なことをやってるんですよ」

 20分過ぎになってようやく、
「どうもすいません、お持たせして」
と、社名の入った上っ張りを羽織った支店長と社員たちが出てきた。どうせ賭け将棋でもしていたのだろう、そんな輩にロ先だけで謝られても、炎天下、立ちっぱなしで待たされた腹の虫はおさまらないが、江田さんはにこやかに、
「では、参りましょうか」

 着いたところは、米軍の枯れ葉剤散布が原因とみられる奇形児たちがホルマリン漬けになっている、「戦争犯罪記念館」の裏手にある五階建てマンションだった。出入ロのついたコンクリート塀の上に、コカ・コーラの瓶などを砕いた破片がびっしり埋め込まれ、おまけに鉄条網まで張りめぐらされている。泥棒よけで東南アジアでは珍しくもないが、これを見るたび、私の気分も束の間ささくれだつ。門扉を開けてのっそりと顔を出したのは、軍服姿の小柄なべトナム人だった。くすんだ緑色の半袖シャツの両肩のところに、一方には赤地に黄色い星印のベトナム国旗の徽章を付け、もう一方には錨のマークの入った徽章を付けている。

 江田さんが噂いた。
「北ベトナム出身の海軍(軍人)でしょうね」
サイゴンの家主には、1975年の南ベトナム”解放”後に旧北ベトナムから乗り込んできた共産党幹部や軍人、あるいはその子弟が多い。この家主は、見たところ年長に見積もってもまだ三十代だから、北出身の党幹部か軍人の子息であろう。どこかおどおどした目つきなのは、押しかけてきた大柄な日本人たちに気圧されているからなのか。

 少し遅れて、江田さんのパートナーのシンさんが到着した。シンさんは、ベトナム戦争が激しかった頃、日本に留学し東京大学に在籍したこともあるインテリで、完壁な日本語を話す。日本留学後、アメリカを経てフランスへ行き、パリで知り合った日本人女性と結婚してニ人の子をもうけ、いまは江田さんと共に不動産アドバイザー兼通訳を担当している。

 「すみません、遅くなっちゃって。前の打ち合わせが延びたものですから」
シンさんの見事な日本語に反応を示すでもなく(日本人と勘違いしたのかもしれないが)、支店長とニ人の部下はそそくさと室内を見て回る。

 「静かだね」「部屋もぎれいだし」「クーラーも三つ付いてる」
ふんふんと自分の言葉にうなずきながら、支店長は屋上に上がっていく。屋上は物干し場になっていて、さつまいもが十六本も干してある。家主の妻のものだろうか、ピンクやブルーの派手な下着が、威勢よく風にひるがえっていた。江田さんが私のほうに寄ってきて、小声でぼやいた。
「お客を連れていくからって、あらかじめ電話してあるんだから、ちゃんと片づけときゃいいのに、これですからね」

 それでも、支店長はここが気に入ったらしく、家賃の額を江田さんに確かめている。そうして、
「こっちもねえ、仕事の都合で2〜3ヵ月おカネが入ってこないかもしれないんだよ」
前払い金をまけてくれないかと、のっけから値引き交渉である。
ベトナムで部屋を借りるには、日本のような敷金・礼金は要らない。その代わり、入居の予定期間がー年なら半年分、三年ならー年分、五年ならニ年分の家賃を前もって入金するのが、慣例となっている。いま、この食品会社の支店長が、これから赴任してくる社員用に借りようとしている2LDK(といっても日本よりかなり広めだが)の家賃は、月1500ドル(約18万円)である。仮に三年契約とすると、日本円にして220万円近くもの前家賃を納めなければならない。

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