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VIETNAM NOVELS
サイゴンの部屋貸します

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 経済の尺度でしか他国を判断しない日本人が、「地上最後の投資の楽園」「アジア最後の大市場」「二十世紀の成長国」と景気よくまつりあげたベトナムとは、こういう国だったのである。
「日本のシナリオ作家の人たちは、一度ベトナムに来るといいですよ」
江田さんが、こんな言い方をしたことがある。
「かわいそうな話がいっぱいありますから。ベトナム人一人一人の話を聞いていったら、ほんとドラマになりそうな、かわいそうな話ばっかりですよ」
ぽつりぽつりと独白が続いた。

 「言葉がわかるようになると、よけい胸に響くんですよ。僕も、かみさんの話を聞いて、何度も泣いたことありますもん…」
妻のクインフォアさんと出会ったのは、江田さんが本格的にサイゴンで仕事を始めて間もない頃だった。知り合いのベトナム人に連れられて行った大衆キャバレーで、江田さんの隣に座ったのが、ベトナム語で「あじさい」という名のクインフォアさんだったのである。

 そのときの江田さんの風体が、悪かった。長髪を後ろで束ね、顎髪を生やし、派手な模様のアロハ・シャツを着ている。このスタイルが、ベトナム映画に出てくる悪党そのものだとは、サイゴンに来てまだ日の浅い江田さんは知らなかったのだった。江田さんの横に付いたクインフォアさんは、悲しげな顔でずっとうつむいていたが、とうとう泣きだしてしまった。江田さんは、初対面のベトナム人女性に急に泣かれて戸惑うばかりで、まさか自分の風貌のせいだとは思ってもみない。

 「タクサン大キイ、ウシロ髪ナガーイ」
とクインフォアさんは、大きな目をいっそう見開いて、江田さんとの出会いを振り返る。「ものすごく体が大きいし、うしろ髪も長いし」怖くてたまらなかったそうなのだが、「ウシロ髪」なんていう単語を知っているのがおかしくて、私は思わず吹き出しそうになった。

 ベトナムに限らず、アジアの多くの国では、占いや吉兆・凶兆が広く信じられている。クインフォアさんは、江田さんと会う数ヵ月前、占い師に「あなたは体の大きな外国人と結婚する」と告げられていた。それまで外国人とは口をきいたこともなかったから、本人も意外だったし、周囲からも「そんなことあるわけない」と笑い飛ばされたという。

 江田さんと出会うことになる日の朝には、横になっていた彼女の足をゴキブリがかすって通った。ベトナムの言い習わしでは、ゴキブリが体に触れるのは吉兆である。読者はー笑に付されるかもしれない。だが、アジア世界の最底辺で生きる人々にとっては、占いや吉兆は、すがりつけるかすかな希望そのものなのである。

 23歳のクインフォアさんは、5歳で産みの母と死別し、故郷の村から出稼ぎ行ったきりの父とも離れて、親戚のあいだをたらい回しにされながら育った。鉛筆もノートも買ってもらえず、学校は小学校三年生までしか行けなかった。子供の頃から、天秤棒に重たい水瓶を下げ、毎日何度も水汲みと水運びをさせられたので、いまも背骨が少しずれている。江田さんと初めて食事をー緒にしたとき、彼女は、
「おなかいっぱいになって苦しくなることって、こういうことなのねえ」
無邪気なくらい感動して、その様子が江田さんの胸を打った。

 十六歳のとき、”口減らし”で見ず知らずの男のもとに売り飛ばされそうになったが、危うく逃れ、サイゴンに出てきた。後年、江田さんと結婚したのち、ベトナムでも空前の視聴率をあげた『おしん』を観て何度も号泣したのは、日本の明治・大正期を生きたおしんの少女時代の境遇が、自分と瓜二つだったからである。

 知る人もいないサイゴンで手に職をつけねばと洋裁を習い、田舎から妹も呼び寄せて同じ仕事を始めさせたところが、その妹が頭部の感染症で入院してしまう。治療費をどうにかして工面しなければならない。やむなく「売春だけは絶対にしない」と心に誓って、「ピア・オム」(直訳すると『抱きビール』)と呼ばれるキャバレーに勤めるようになり、そのニカ月後に江田さんと邂逅するのだった。ほんとは好みのタイプの女性ではなかったと、江田さんは打ち明ける。
「どっちかって言うと、僕、ケバいのが好きなんで(笑)」

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