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VIETNAM NOVELS
サイゴンの部屋貸します

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 次の日、江田さんとシンさんは「上岡氏」のところに謝りに行った。こんなとき、私は身の置き所に困る。不動産屋の”見習い”ということで通してきたから、日本人客のほうもそれをつゆほども疑っていないのである。

 そう言えば、江田さんのバイクが不調で、代わりに私がー人、タクシーで日本人客を案内したこともあった。内心はらはらしどおしだったけれど、中小企業のオーナー社長だというその中年男性は、私がよほど頼りなげに見えたらしく、
「まあ、こっちでのんびりやるのもいいですよ。こつこつやってりゃ、なんかいいことありますよ」
と励ましてくれるのだった。

 今回は、そうはいかない。江田さんは「胃が痛くて」と言いながら、しきりに汗を拭いている。汗かきの江田さんは、いつもズボンのポケットとアタッシェ・ケースに合わせて五枚も厚手のミニ・タオルを入れているのだが、きょうの汗は暑さのせいばかりではなさそうだ。重い足取りで、先方の事務所に着く。入口に、皮層病で赤剥けになった野良犬が、だらりと寝そべっている。さいわい「上岡氏」の怒りは、だいぶ収まっていた。
「困るよなあ。どうなってんのかねえ。契約書ちゃんと書いたのに、こういうことってよくあるわけ?」

 江田さんは「はい」とうなずいて、もっと拗れたケースを話しだした。そのときの日本人客の怒りははなはだしく、住居が見つかるまでのホテル代を600ドル支払えと要求したが、家主はいっさい取り合わない。開き直ったその態度に、さすがの江田さんも腹を立て、裁判に訴えて争うと宣言したら、途端に家主の態度が卑屈になった。600ドルの代わりに、「別の部屋をお貸しして、そこには冷蔵庫と洗濯機を入れますから」と代案を出してくる。

 ところが、そこで家主の、いかにも”かかあ天下”らしい女房が(ベトナム人夫婦の常ではあるが)ロをはさんできた。
「もっと安いホテルに泊まればいいんだわ。600ドルなんて賢沢すぎるよ」
そのひとことに日本人客がまた怒りだし、家主は女房と日本人たちにはさまれておろおろするばかり。長談判の末、ようやく家主が別の空き室を貸し、そこに冷蔵庫だけを入れることで(ただしレンタルとして)決着した。このいきさつを聞き終えるなり、「上岡龍太郎氏」は、したり顔でひとこと
「ま、ベトナムだからねえ」
思えば、その家主も旧北ベトナムの出身であった。

 これには、わけがある。1975年の”解放”後、崩壊した南ベトナム政権の要人や軍人、官僚たちの所有していた不動産を、新政権が差し押さえた。実際は、共産党幹部や北ベトナム将兵らによる、獲物の分捕り合戦だったらしく、取り分の多かった党幹部や軍出身者たちは、”戦利品”の家屋をそのまま賃貸に出したり、新築マンションを建てて外国人に法外な値段で貸して、にわか成り金にのし上がっていったのである。貯め込んだUSドル(言うまでもないが、かつての仇敵の通貨である)に物を言わせて、海外に大名旅行に出掛けたり、サイゴンに妾を囲う者も多いと聞いた。

 こうした旧北ベトナム出身者たちの行状を、南の住民はむろん苦々しい思いで見つめている。サイゴンっ子の嫌いな外国人は、中国人、韓国人、ロシア人(ロシア人嫌いは社会主義政権下でのソ連との付き合いが原因)で、これは人によって順番が異なるが、その上に必ず「バッキー」が来る。むかし阪神タイガースにいたピッチャーの名前ではない。文字通りの意味では「ベトナム北部」だが、サイゴンの住民たちは「北のクソつたれ野郎」のニュアンスで「バッキー」と吐き捨てる。私は、あるカラオケ嬢が真顔で、
「バッキーのやつらを見つけたら、頭にピストルの弾を百発くらいぶち込んでやりたい」
と息巻くのを聞いている。警察や公安も事実上、北の出身者で固められ、日常的にその監視下に置かれているから、「バッキー」への憎しみは深く内攻する。少なくともサイゴン住民のあいだでは、75年の南ベトナム政権陥落は決して”解放”などではなく、北ベトナム共産主義政権による「占領」、もっと彼らの実感に即した言葉で言うなら「蹂躪」もしくは「掠奪」であったことを痛感しないわけにはいかない。

 旧南ベトナム政権に協力的だった者は、一兵卒に至るまで、中国の”反革命分子”と同様の、出身階層による厳しい差別に晒され、それは子や孫の代になっても、就学や就職、結婚などの際、執拗につきまとう。サイゴン在住歴の長い日本人が、あきらめきった表情で、私にこう語った。
「俺はベトナム人と酒を飲まないようにしているんだよ。酒飲むと、人が変わったみたいに荒れるやつが多いから。きっと抑圧されてるからだろうね。ベトナムには、生まれつきどうやっても浮かび上がれない人間が大勢いる。そのー方で、共産党の連中はますます金持ちになっていくわけだろう。自暴自棄みたいになって、その日暮らしをしている人間はたくさんいるよ…。」

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